あきママの雑記帳

すいぶるクラブ番外編

今頃亀田問題・2

「弁慶」と言うと、普通「荒くれ法師」とか、「勇ましい」と言ったイメージが優先するんだろうな。

でも、弁慶と言う人は「仁・智・勇」の「智」の人。

歌舞伎の「勧進帳」の舞台・安宅関は(石川県民なので)行ったことがある。
ここで義経主従は富樫の前で大芝居をしたのは有名だ…あら?石川県民でなくても若い子は知らないのかな?
(我が家の息子19歳は知っていたのでほっとする)

とにかくとっさの判断で白紙の巻物を「勧進帳」として読み上げ、義経の危機を救った「智」の人である弁慶の、何処が亀田家の次男と重なるのだ?


まだ長男の試合の頃、私の指導している幼稚園児がボクシングの真似をしていた。
「おっ、ボクシングかあ?」とかまってやると、母親が困った顔をして
「亀田を見て、かっこいいと思ってるんです…」と言う。
彼は明らかに亀田のボクシングではなく、あの態度に憧れているのだ。

ちょとショックだった。
彼に陶酔した大人もいるが、こんなちっちゃい子供にもかっこよく見えたのかと。
はやく負けて、あの態度を画面では観る事の無いよう祈ったものだった。


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今頃亀田問題・1

まだ解決していないが、散々言い尽くされてしまっているボクシングの亀田選手。

当然、私は最初から好きではなかった。
格闘技大好きの夫は
「あんなに弱いのに、なんでTV局やコメンテーターは(亀田選手を)ヨイショするのだ!?」
と怒っていた。

私が子供の頃は、TVで毎週ボクシングの時間帯があった様に思う。
「グンジさんの採点」と言う台詞が耳に残っているのがその証拠だ。
残念ながら子供だったので、グンジさんの漢字は分からない。

その頃から「ボクシングはフットワークが大事」と言うのが子供心にも分かって、その後リアルタイムで読んだ「明日のジョー」でルールにはもう少し踏み込んだ程度だが、そんな私にも「亀田って強くない」と思わせた。
鉄壁のガードは臆病にも見え、素人の私にはフットワークがまるでなっってないように見えた。


それにしてもあのパフォーマンスには笑った。
特に次男はおかしいと思うのは当然だが、試合の後に歌を歌うのはかつて女子プロレスでビューティーオペアがやっていたから珍しいことではない。
私が疑問に思うのは「難波の弁慶」という彼のキャッチコピーだった。
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○○マーク

先日、娘が初めての免許更新に行きました。
息子も運転する機会があまりないまま、初心者マークが取れました。

あの通称『若葉マーク』は決まったことだけど、黄色とオレンジの雫型のは任意だそう。
『紅葉マーク』(もみじ)と言うらしいが、人間は「お行」より「あ行」の方が言い易いらしく、私は『枯葉マーク』と呼んでいる。

先日、夫が普通に『落ち葉マーク』と言ってしまった。
枯葉と落ち葉…どっちが酷い言い方なのだろう?
枯葉はかろうじて木にくっ付いている。
落ち葉の方が可愛そうだよなぁ〜。

さて、「もみじ」も「おちば」もオ行なのに「おちば」の方が言い易いいのはなぜかと思って発音してみた。
「も」は一度唇を合わせないと発音できないんだな。
それで「おちば」の方が言い易い。
こういったことも考えてマークの名称なんかは考えるべきなんだろうね。

さて、若葉マークが取れて運転しながら息子が言う。
「若葉マークの1年は、乗車日数の1年にしてくれないか?」
うんうん、ペーパードライバーのSDカードとか、本当に怖い代物です。

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地蔵盆の思い出

昨日、滋賀県木ノ本の『地蔵盆』に行きました。
調べると、去年も地蔵盆に行った話を書いているのですが、それは娘ゆかりの観音様のことでした。
今年は私の思い出です。

最初に行ったのはもう30年以上も前で、まだ高校生だった私は夏休みの小旅行気分で両親と電車を乗り継いで行きました。
私は当時流行のフリフリのワンピースを着、手にはバスケットを持っていたと思う。
これは父に買ってもらったもので、とても思い入れがある。
その小さなトランク型のバスケットは、今娘が小物入れに使っている。

駅から続く縁日の屋台の長い列を覗きながら、お寺に向かう。
17歳の私は、当時の私でさえが懐かしいと思う小さなひよこの置物を買い、幼い子供のように嬉しそうに眺めていた。
その赤と黄色のひよこたちは、今も私の部屋に飾られている。

その次に行ったのは26歳、結婚して1年経つ頃だった。
その時の霊験あらたかなお話は去年書きましたが、それからまた数年行かないで、子供が大きくなってからまた母と2人で行くようにになったのです。
車のクーラーが壊れていて、昔のように電車で行った年もありました。
しかしここ数年、目に見えるように母が老いていっている。
御祈願を書く用紙に数え年を記入する欄があるのだが、母は80歳だった。
あ、私なんかまだ49歳なのに51歳と書かなければならないところが不満でしたが…。

縁日の屋台も年々変わってきて、あの懐かしい品々にはもう会えません。
おもちゃの指輪や可愛いお財布、ガラス細工を売っていた時代もあったけど、今はもう覗いて楽しいものはなくなりました。

母がなぜここの地蔵盆に来たがるのかよく分かりません。
父とは西国33ヶ所を何度も巡り、ここだけが思い出の地とも思えません。
また目に良いお地蔵様なのに、母も私も普通に目は悪くなっている…いや、もっと悪くなるのを食い止めてくれているのかも知れないけれど。
まあ母が参道を自力で歩けて、私が車を運転する元気がある間は毎年来ましょう。
今度私がおばあさんになったら「とても身勝手なお願いを聞き入れてくださった美しい観音様を拝みに行」くといって娘に車を運転させているかもしれない。


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代理母問題・無茶した二人目

代理母が許されたら腎臓が悪くて産めない人も、他にもいろんな病気で妊娠を継続できない体の人は「私も!」と要求してくるのじゃないか?

もっと極端に考えたら「元気なんだけど生むのが面倒だから誰か代わりに産んで〜」なんて、金で解決するやからが出て来るかもしれない。
ちょっと意味合いは違うが、乳母が代わりにお乳をやる「乳母制度」は似通った印象がある。
最初は夜中も起きて飲ませなければならないのだから、母親は大変である。
乳母を断って母乳で育てた美智子様は偉いです!
今となっては懐かしいだけなのだが…さすがに真冬に胸をはだけるのは寒かった。

私は主治医が早く薬を飲ませたがっていたのに、9ヶ月まで母乳で育てた。
娘が強情で哺乳瓶を受け付けなかったのも理由の一つだが、実はミルクを造るのが面倒だったのかな…?

二人目の子供、現在19歳の息子を産む時はかなりの決断が強いられた。
一人目は「8ヶ月過ぎたらこちらでなんとかしますよ」と言われた妊娠であった。
しかし育児をしながらの妊娠は大変だ。
「3歳くらい間隔をあけて産みなさい」と言われたが、夫は既に40歳間近…待ってられない。
そして「途中で母体の状態が悪くなったら堕ろす覚悟があるのなら」と言う条件での妊娠となった。

予定日を過ぎて、恐れ多くも天皇陛下と東京タワーと同じ誕生日に生まれた息子。
彼は大きくて大変だった…経産婦なのに酷かった。
アホだが優しい子だ。
科学が発達して人工子宮から生まれたら、こんなにも子供は可愛くないだろうね。



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